キララ15号 鋭意作成中

2月 4th, 2019
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国連の世界保健機構WHOでは、『健康の定義』を今を遡る事約20年前に、下記に変更しました。

“Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.”

訳すると「完全な肉体的(physical)、精神的(mental)、Spiritual及び社会的(social)福祉のDynamicな状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。」

言わば健康とは身体、精神、Spiritual(スピリチュアル)、社会的、福祉などに置いてDynamic(動的)
な状態で疾病や病弱な存在ではないとの事です。

世界的には『Spiritual』が認められているのですが、日本ではあまり馴染みが無く、信じれるよ!といったとして
も胡散臭い目で見られがちですね。

改めて『Spiritual』調べてみたら

(物質界のことと区別して)霊的な.(比較なし)聖霊の.崇高な,気高い. とあります。

西洋では無信仰の方もいらっしゃいますがキリスト教の影響も強い為にそれらが取り入れられた
のでしょうか?

中世ヨーロッパの暗黒時代(無知蒙昧)からの啓蒙思想から脱却しようという考え方なら
宗教の概念を除外するべきなので逆のような気がします。

改めて『Spiritual(霊的)』な存在は必要と考え直したと受け取る方が自然な考えですね。

日本は無宗教と言われますが逆に見えないものに関して、かつては敏感だった種族だったと思います。
だから他宗教のも考えも簡単に受け入れてしまっていてる様な気がします。
それどころか自分は無宗教であるという 宗教を受けれているが如き素直さすら感じます。

かつては、山や色々な所に八百万(やおよろず※沢山すぎて数えれないの意味)の神様がいて、
奉りますし、祖先の霊に関しても感謝の念を忘れず 手を合わせお盆ではお迎えをします。

現在そういう気持ちを忘れた人も神社では手を打ちますし、寺では手を合わせます。加え、
切欠がメーカーの策略だったとしても年末の25日には世界総出でプレゼントを配る人は存在すると
口裏を合わせて幾多のサイトでは、彼の仕事ぶりが追跡されます。更には2月には聖人の命日を
愛の告白にや海外でも感謝の気持ちを表す事に使われます。

見えなくても有るのでは無いのでしょうか。見えず形は無くとも うつわとして容(カタチ)は
あるを証明しているような人々の動きです。

これが『Spiritual(霊的)』な存在のように私は考えます。

そんな『Spiritual(霊的)』が『氣』(病気の氣とも言います)と呼ばれ自分の中の『氣』を感じ、
自らの体を操る方法として氣功整体として指導している先生に弊社の坂井は取材を行いました。

非常に難しい題材かと思いますが、少しでも自分の身体と付き合う方法としてご紹介出来たらと
現在鋭意作成中です。

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