多くの人々が健康で幸福に暮らせる活力ある社会作りをめざす-NPO法人 がんコントロール協会 森山晃嗣理事長

より良い情報を求めて集う人々と共鳴し合い、健康づくりのお手伝いをするための具体的な活動とは?

NPO法人 がんコントロール協会
森山晃嗣理事長

管野先生の取材を終えた後、NPOがんコントロール協会森山晃嗣理事長に続けて取材させていただきました。
増加の一途をたどる、がんや生活習慣病に対して、現代医学ではおざなりにされている部分、食事のことや栄養素療法の情報、そして、すでにアメリカやヨーロッパでは多くの実績を上げている「代替・補完医療」の成果をご提供されています。

「多くの人々が健康で幸福に暮らせる活力ある社会作りをめざす」 森山理事長のお話をご紹介させていただきます。


坂井:森山先生は分子栄養学のご講義をしていらっしゃいますが、病院も併設されていて、そこには心理学の先生がいらっしゃったり、食事療法やコーヒー浣腸、点滴療法なども全部やってがんの方に向き合っていらっしゃるとお伺いしています。先生がそこまでされることになった経緯をお聞きしたいと、ずっと思っていました。本日はどうぞよろしくお願いいたします。

森山先生:思い出しますとね、栄養のことを始めて10年目ぐらいの頃に、たまたまがんの方から相談を受けたんですよ。それまでは主にアトピーや喘息、糖尿や肝臓を患っている人たちに、栄養・食事はどんな物を摂ったら良いかという話しをさせてもらっていました。そんなだからがんの方の栄養や食事のことはわかりません。
ただ、ロジャー・ウィリアムス先生の栄養素理論で言うと、正常な細胞が正常に代謝すれば良いところを、がんというのは異常になったわけだから、正常な細胞が正常に代謝されるのに必要な栄養、ミネラルやビタミンやアミノ酸を、きちっと身体に入れていくと良いということだけはわかっていました。そこで、そういうアドバイスをしました。
腎臓がんの方で、私の言った通りに食事を摂ったり栄養を入れたりされたわけですよ。有る講演会に参加したとき、「私はがんがこんなに小さくなった」と言ってる70代の方がいらっしゃったんです。その方が「電話で7~8ヶ月前に先生と話しをした腎臓がんの患者は私です」とおっしゃったことから話しをしたのがきっかけで、それからがんの方の相談が急にあちこちからくるようになったんです。その後、子宮ガンの方にアドバイスが欲しいと言われたので、栄養のアドバイスをしました。その方とはそれから電話で時々話しをしていましたが、3~4ヶ月後の夜中に僕の自宅の電話が鳴りました。出ると、電話の向こうから「痛い、助けて」という言葉ばっかりが聞こえる。途中で看護婦さんが気がついて代わってくれて、何とか終わったんですけれども、その痛いという声が耳にこびり付いて離れません。それで「大きな病院の個室にいながら、なんでうちに電話をかけてくるんだろう?」みたいな疑問を持ったんです。

坂井:偶然、がんの方の相談を受けるようになったことから、疑問がわいた…。
森山先生:そしたら、ちょうどアメリカの代替医療法のコンベンションがロサンゼルスである、ということを教えてくれた人がいるんです。代替医療法というのは初めて聞いた言葉だったので、それなら行ってみようと思いまして。何人かのお医者さんと、当時はまだお元気だった医事評論家の今村光一さんたちとアメリカへ行ったわけです。何人か一緒に行ったドクターが、ゲルソン療法という療法があるらしいとか、ビタミンCの大量点滴を打ってるらしいとか、B-17のアンズのエキスがすごく効くらしいということを教えてくれました。
そしてそのコンベンションが終わったら、今度はメキシコの病院見学ツアーがありました。アメリカに近いので、医療特区か何かになっていました。そこではオルタナティブ・メディスン、つまり代替医療法の研究をしていいことになっているので、アメリカのドクターたちがメキシコで研究やらをするんですよ。
日本にもよく来ているジョナサン・ライトという先生は、「糖尿病の患者さんに、ミネラルやビタミンなどいろんな微量成分が入った点滴をするだけで、足の先を切断しなきゃいけないような人が回復して、切断しなくてすむ」と言っています。そうしたら、全米から患者さんが集まってきたんですが、それだけでその先生は逮捕されたんですよ。

坂井:アメリカは代替医療が進んでるイメージだったんですが。
森山先生:西洋医学(者)の欲もからんで、当時はそれはもうすごい戦いでしたよ。日本は全体として代替医療は完全に無視して知らん顔していくという方針ですけどね。日本とアメリカ、どちらのやり方がより陰険なのか、あるいは良いのか悪いのかわかりませんが、アメリカでは代替医療はとにかく激しいやり方で弾圧されていました。ですから、代替医療の大会はメキシコに行って、患者さんを紹介しながらやっているわけです。1990年、91年、92年ぐらいは、テレビなんかのマスコミが入ってきて、コンベンション全部を映すんですね。CBCやCBS、CNN、ABCニュースとかみんな来て映している。僕なんか、「うわぁ、すごいなぁ。アメリカはもう代替医療法が開けて来てるんだ」と思ったんですよ。実際はそうじゃなくて弾圧だった。
どういう弾圧かと言いますとね、「ビデオって怖いな」と思ったんですが、西洋医学のドクターたちが会場でいきなり質問するんですよ。「代替医療の化学的根拠はどこにあるんだ?」「エビデンスはどこにあるんだ?」というように。そこで代替医療をやってるドクターたちが、「いや、それは体験的に長いことやってて…」と一瞬しどろもどろになった場面だけをテレビに映し出すんですよ。
つまり、西洋医学のドクターが質問をした瞬間に、「(代替医療は)こういう答えられないようなインチキ療法をやっている」ってテレビで映すわけです。ネガティブキャンペーンというわけ。僕などそれを見て「うわぁ、この国は大変な国だ!」と思いましたね。でも、そうやってマスコミが騒いだお陰で1992年に、NIH・国立衛生研究所が「そんなインチキな物はよく調べて国民に知らせる義務がある」ということで、当時200万ドルの予算をつけて代替医療法を研究するんです。結果的にはそれが代替医療が注目されるきっかけになりました。
メキシコの病院に係官が行って、抜き打ちでいろいろインタビューするわけですよ。すると、そこのがんの患者さんたちの職業は、ドクターや大学教授、裁判官、大企業のオーナー、重役たちなんですね。中には自分が外科医で、がんの患者さん切りまくって抗がん剤を投与していたところが、自分ががんになると(切って抗がん剤をする代わりに)代替医療の病院に来た人もいた。すると、「この人たちは(怪しい医療に)騙されるような人たちじゃない」ということから、話が変わってしまった。「それならもっとちゃんと調べて、国民に知らせなきゃいけないじゃないか」と話が逆転しまして、予算が当初は200万ドルだったのが、翌年に急に5000万ドルにはねあがるんですよ。
そこからアメリカが変わり始めた。そういう経緯があるんですけど、僕は毎年行きながら――去年で19回、今年も行きましたが――1つか2つ新しいことを勉強しながら、日本の患者さんたちにも教えてあげた。「じゃあ、行ってごらんなさい」って向こうの病院やなんかを紹介してあげるから、患者さんたちが行くわけですよ。行った患者さんが元気になって帰ってこられたら嬉しいですよね。成田空港で車椅子に乗って、弱った姿で行った方が、2カ月ぐらいすると自分でスタスタと歩いて手を振って帰ってくるわけですよ。「えー、あの人が行ったのか、別の人じゃないのかな?」と思うような感じでした。
でも、治った方ばかりじゃなくて、それはそれはいろいろ厳しい言葉を貰いました。それで、「これは日本でもコンベンションをやらなきゃいかん。アメリカまでわざわざ患者さんを行かせないで、日本で出来るようにすればいいんじゃないか」と思いまして。それで1994年から95年にアメリカに「日本支部としてやってもいいですか?」とお伺いを立てたところ、「おい、やろう!」なんて励まされて、1995年から日本でコンベンションをはじめたわけですよ。

坂井:すごい実行力ですね。
森山先生:毎年ボランティアの人たちを集めながらやりました。ここ2、3年、柳沢先生たちが、やり始めた頃から増えましたが、当時は遅れてて全然ダメ。だから僕が1本25000㍉も入ってるようなビタミンCを個人輸入で買ったり、あるいはがんの患者さんを紹介して、個人医院で買うようにしてあげたりしていました。日本の場合はチャレンジすらもしませんでしたから、僕は「誰か一緒にビタミンCの研究をしてくれるドクターは居ないかな」と思うようになったんです。そして、やっと代替医療をやるドクターがポツポツと現れ始めて、僕たちが思うようなドクターも現れたので、開業しました。
始めは栄養のことだけをやって、そして勉強しながら講演をして、栄養のことをずっとやってきました。それでね、がんの患者さんを見ていますと、栄養のことをちゃんと管理する人はうまくいくんですよ。実にうまくいく。ただ、難しいのは味覚を変えなきゃいけないことですね。身体の中の環境を良くするために、身体に良くない物は止め、良くなる物だけを摂り入れる。そして、身体を温めていくんです。反対に味覚が変わらない人は、ちょっと難しいです。とにかく味覚を変えることが必要なんです。僕が「塩を抜きましょう」と言うと、「抜いても大丈夫ですよ」とか言ってる人は結構ずっと元気です。
ところが「こんな物、食えねえ!」とか言って、どこかで塩を入れた物を食べたり、つい天ぷらを食べたりすると、またズルズルと元の味覚に戻ってしまう。すると、こういう(身体に良い)食事ができなくなります。そうなるとダメですね。

坂井:確かに味覚を変えるのは、かなり難しそうです。
森山先生:それは(医者ではない)私たちが言ってるからダメなんであって、ドクターから言ってもらうと患者さんもちょっとは受け入れ方が違うんじゃないかという希望もあるわけですよ。だからお医者さんが、「こういう食事をしなさい」「頑張りなさい」「こうしなさい」と言って…。管野院長のように言ってくださる方がいたら、少しは患者さんの意識も違ってくるでしょうから。まあ、そのようないきさつで、クリニックをすることになったんです。

坂井:森山先生が実践されている方法というのは、本当にがんコンベンションでお話しされたことを実践してやって行くということなんですね。
森山先生:そうです。ミネラルとか野菜とかの基本を先ず身体に入れて、それから次のことに移るべきだと思うんです。僕は長期戦だったらがんとも悠然と戦えますよ。ところが、みんな基礎的な栄養のことをやらないで特効薬みたいなのを求めるから、うまく行ったとか行かないとかの話になっちゃうんです。特効薬が大好きなんですよ、特に日本人は。でも、特効薬なんか無いですよ。下手な特効薬を探すんだったら断食してるのが1番良い。

坂井:そんなものなんですか。
森山先生:がんに餌をやらないということは、つまり人間が飯を食わないということ。そうすると、正常な細胞は代謝しながらでも、新しく壊された細胞からエネルギーをとりながら、生きられる。一方、がん細胞はグルコースがこないと発展できませんから、人が食事してくれないと死んでいくしかない。

坂井:がんに対する栄養学としては、ミネラルなどのいろんな旬の物を取り入れながら、なおかつ日本のなるべく玄米菜食の物を取り入れて、それで身体の土台を作ってやっていけばいいということですね。
森山先生:そうですね。仮にがんができても、そのがんがそれ以上大きくならなければ良いわけですよ。最悪でも今のままでいてくれたら良い。がんをそのまんまの状態に押さえてくれる為の環境を作る食事に変えて、ミネラルや何かを十分に身体に入れて、ビタミンCやB-17である程度がん細胞を叩いて、そして温熱をやりながら、あわよくばがんが無くなってくれれば1番良いわけです。

坂井:森山先生のお立場からすると、がんは治る病気だと思われているということですか。
森山先生:そうですね。治るという表現が正しいかどうかわかりませんけれども、少なくとも長生きは出来る病気だと思っています。がんがあっても、持ったまま長生きすればいいじゃないですか。そしてね、毎日玄米とかの粗食を摂りながら、身体を温めて、毎日散歩をして、何年も生きている人がいます。だから、がんと戦いモードに入って「何とか早く治そう」というよりは、「がんは自分が作ったんだ。自分の今までの生活はどこをしくじったんだろう?」ということをちゃんと見ないといけません。そうでないと、切って、抗がん剤をぶち込んで、放射線を当てて、「さあ、切りましたよ、もう治りましたよ」というあの罠にはまるんだと思いますね。まあ、僕はそんなことで長年やってきているわけですよ。私の話が、がんに罹って苦しんでいる人たちの何かの参考になれば幸いです。

坂井:長時間にわたり貴重なお話を聞かせていただいて、本当にありがとうございました。

詳しくは、希輝(きらら)通信でご紹介しています。


お忙しいところ、取材にご協力いただき誠にありがとうございました。

NPO法人がんコントロール協会 森山晃嗣理事長(写真左)
坂井正典(写真右:がん克服サポート研究会代表)