同じ傷を持つ人と話せたことで、救われた
中村壽美子さん(66歳)大阪府在住
胸にビー玉くらいのしこり
中村さんは、42歳のとき、左の胸にビー玉くらいの丸いしこりがあるのを感じました。痛みはありませんでしたが、乳腺炎か何か病気ではないかと思い、愛媛大学医学部の乳腺外科を受診しました。
精密検査の結果は、乳がんでした。 すぐに手術が必要だと言われ、左乳房の全摘出と左脇リンパ腺を切除しました。がんは思ったよりも大きく、ピンポン玉くらいはありました。
「当時(24年前)は、乳がんになったら乳房を全部切除し、リンパ腺のある脇や、進行の程度によっては背中の方まで大きく取り除くことが普通でした。人によっては術後の姿はむごい人も多かったようです。今のようにがんの種類によっては内視鏡手術や部分手術もなく、生きるためには、医師を信じて躊躇することなく全摘出手術を受けるしかなかったのです」と中村さんは教えてくれました。
このような大きな手術をすることになったわけですが、中村さんは当時、小学生と中学生だった2男1女の3人のお子さんがいたため、乳房の切除に対する悲しみよりは、とにかく悪いところを切除してもらって、子どもたちのいる家に帰りたいという気持ちでいっぱいだったそうです。
乳がんの手術は成功しました。中村さんは、意識が戻ったとき、天井を見つめ、「神様、生き残ることができました。ありがとうございます。私は娘が結婚するまでは、どんなことがあっても生き抜きたいのです! 私に生きる力を与えて下さい」とお願いしたそうです。
中村さんは、特に一人娘である長女さんの花嫁姿を見ることが夢の1つでした。 術後は、抗がん剤の点滴と、内服薬が処方されました。脱毛はありませんでしたが、吐き気と脱力感、胸に鉛の板が入っているような、重く、辛い痛みに悩まされました。1週間後には、縫合したところの一部がスムーズに治癒せず、再度縫合部分をやり直す手術を受けました。また、乳がんは女性ホルモンが原因のことが多いので、卵巣も取ったほうがいい、と摘出手術をしました。そのため入院期間は、1ヶ月近くなりました。
今は、外科手術後は、早期にリハビリを開始し、退院も早いのが普通となっています。でも、以前は違っていた、と中村さんは言います。
「術後は、とにかくしばらくは静かに寝ているように言われていました。私は乳がんの手術をした人は、手が腫れたり、しびれたり、腕が上がらなくなると聞いていたので、自主的にリハビリを始めることにしました。具体的には、自分の病室の壁面に手を当てて、1cmずつでも上へ上へ移動させる運動を痛みをがまんして、毎日1日2〜3回行いました。
そのかいあって、腕もそれほど腫れやしびれもなく、家へ帰ってからは肩の上まであげることができました。術後だからといって、じっとしていたら、きっとここまで回復することはなかったと思います。自立して努力するのは、より良く生きていくため、自分のためです」。
中村さんは、その後、家に帰っても早く回復するよう努力を怠りませんでした。
なぜ、がんになったの! 体と心の怒りに悩む日々
家に戻ってからもしばらくは安静にしなければならず、寝たきりでした。傷口は自分で消毒をし、ガーゼ交換をし、1週間に1回、タクシーで通院しました。その後徐々に通院の間隔が開いて行きましたが、それでも再発の恐怖に怯え、長い間検査や投薬は続けなければなりませんでした。
そんな毎日を過ごしているうちに、だんだんと激しい怒りが湧き上がってきたのだそうです。 「なぜ、私ががんにならなければならないの! こんな私に誰がした!」 実は中村さんは、夫のDVで辛い悩みを抱えていました。そのことがストレスとなって、がんになったのだと思いました。悔しく情けない思いでいっぱいになりました。乳がんの傷が癒えても心があまりにしんどくて、心療内科を受診しました。
ただ、偶然にもある女性と出会うことができました。彼女は、同じ年齢で同時期に乳がんの手術をした人でした。病院で手術をしてくれた医師から「落ち込んで立ち直れない人が中村さんの家の近くにいるから、よかったら、一度会って話相手になってあげてくれませんか」と頼まれたのです。中村さんも決して元気ではなかったのですが、とにかく彼女に会ってみることにしました。話してみると、実は彼女は内容は違っても、家庭の悩みを抱えていました。
中村さんと彼女は、会うたびに、心の中の悔しさ・怒り・悲しみをお互いに吐き出すように話しをしました。誰にも言えなかったこと、次から次から溢れ出てくる感情を言葉にしてぶつけ合いました。
そうこうしているうちに、気持ちがだんだんと落ち着いて、前向きになっていきました。 「いつまでも、こんなことで腐っていてはいけない!乳がんの傷は、鏡を見なければ、私には見えないのだから!」そう思って、がんになったことにはケリをつけようという気持ちへと変わっていきました。
そして、左右の胸の大きさを同じくらいに見せるようにし、おしゃれを楽しむことを始めました。使ったのは、おしぼりタオルです。いろいろ試した末、おしぼりタオルを丸めて、ぺちゃんこになった左胸のブラジャーに入れることが一番いいという結論に至りました。
「乳房型のシリコンも使いましたが、重くて肩が凝るので。おしぼりタオルなら軽いし、簡単に洗濯できるから清潔ですしね。おしゃれを始め、5年経って再発もなく、もう乳がんだったことも、忘れる毎日。セーターや胸の形がはっきりわかる無地の服もへっちゃらです。あれ?ちょっと左胸が上に上がりすぎてるなあ、と思い下へ引っ張り直したり、一日中おしぼりタオルを左胸に入れるのを忘れていたこともあります。温泉も何度も行っています。もちろん傷跡はタオルで隠しますが、もし、他の人に見えてしまったら、ゴメンナサイ、って感じです」と笑って話す中村さんです。
がんが再発しないように努力したことの1つは、食事だそうです。もともと若い頃から食事には気をつけていたそうですが、喫煙はしない、飲酒はビールをコップ1杯まで。香辛料は摂らない、術後病院の待合室のテレビでがんに悪い食事として山菜が映っていて、それ以来山菜類は食べない、などがんに悪そうなものは排除してきました。またよく体を動かすこと、そして、体調で変わったことがあったら、病院で徹底的に調べてもらいました。
「乳がんになっても、再発しないで、元気でやってこれたことを伝えたい」と連絡をくださった中村さん。お話をしていても、明るくよく笑い、行動力のある方だとわかります。今は趣味やボランティア等に多忙の日々だそうです。
最後に次のようなお話をされました。
「今は、がんや難病だけでなく、心の荒れた人たちも多く、心身の健康が侵されることが不思議でない時代です。自分だけではないのです。こんな時代だからこそ、生きようとする気持ちをいつまでも持って、生きる楽しみを感じて、強く強く生きていきたいと思っています。
私が出会った彼女に救われたように、誰かに胸の内を聞いてもらうことは、何よりの特効薬だと思います。生きることの術はお答えできませんが、聴いてもらうことで心がなぐさめられるのでしたら、微力ながら、もし私でよければ、乳がんの方のお話を聴くボランティアをしたいと考えています」。